(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年09月29日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市馬場 やぶた古墳の杜


三重県伊賀市馬場に鎮座する陽夫多神社(やぶたじんじゃ)の宮山の「やぶた古墳の杜」です。

散策道は全長1300メートルあると書いてあるのですが、少々登らなければならないので2、3時間は要するのではないでしょうか。

高松山 吉蔵院(きちぞういん)」もありますし、見どころが満載のエリアです。


陽夫多神社(やぶたじんじゃ)宮山周辺の古墳と中世の城跡

陽夫多神社(やぶたじんじゃ)の宮山の森とその周辺には、古墳十一基と中世の城跡三城が確認されている。

宮山山頂にある宮山一号墳は、全長四十二メートルの前方後円墳で六世紀の前半築造が窺え被葬者は、当時、この地域を支配し陽夫多神社(やぶたじんじゃ)の創始に関係した有力者と思われる。

平地に築かれた御旅所古墳(おたびしょこふん)は大きな横穴石室を有し墳形については地籍図等から前方後円墳の可能性もあり、宮山一号墳に続く首長墓と言える。

円墳は九基が確認され六世紀後半の横穴式石室のものが三基ある。

中世の城跡では、宮山一号から三号城跡がある。

天正年間に織田信長による伊賀侵攻の際の築城が窺え、二号城跡は急造のためか東側の空堀や土塁は未完成である。

三号城跡は、全体に規模が小さく織田軍が築いた陣城の可能性もある。』


宮山一号墳

全長42メートルの前方後円墳、内部主体や埴輪の有無は不明。 陽夫多神社(やぶたじんじゃ)の創始に関係する人物が、葬られている可能性がある。』


宮山二号墳

直径20メートルの円墳、六世紀後半の築造。 石室の羨道部が壊れており、石室内が見える。』


宮山三号墳

完存する直径20メートルの円墳。 横穴式石室を持つ六世紀後半の築造』


宮山一号城跡

南面して築かれ、丘陵の頂上近くの南斜面を削平し、防御のため北川に土塁や空堀、西側には堀切を設けている。 すぐ下を通る波敷野方面からの道を押さえる狙いが窺える。 これら点在する一号から三号城は、天正九年(1581)の織田信長による伊賀侵攻時に織田方の陣城として造られた可能性もある。』


是非、宮山には登ってみたいと考えています。


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【地域名所案内図(マップ)】


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