(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年09月23日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市島ヶ原 鵜宮神社


三重県伊賀市島ヶ原に鎮座する「鵜宮神社(うのみやじんじゃ)」です。

()」の漢字がSHIFT-JISでしか登録されていないので異っています。

由緒書きを読んでいると正月堂(しょうがつどう)観菩提寺(かんぼだいじ)東大寺(とうだいじ)と関係の深いことが読み取れるのですが、そういえば二月堂(にがつどう)の下にも祠が立っていたのを覚えています。

知ってみると面白いものです。


鵜宮神社(うのみやじんじゃ)由緒記

当社の祭神は、事代主命(ことしろぬしのみこと)外十四柱で創立由来は、天平勝宝四年(752)奈良東大寺(とうだいじ)の実忠和尚が開創された村内にある正月堂(しょうがつどう)との関係が深い。

南都に於いて、二月・三月両堂を開基され、二月堂(にがつどう)での修二会の行法に全国一万三千七百余所の神々を勧請の際、釣りをしており遅参した若狭国遠敷明神(おにゅうみょうじん)が後悔され、実忠和尚の夢枕に立って、若狭の清水を毎年修二会行法中観世音に献ずる旨伝えたところ、二月堂(にがつどう)参道下の岩石が裂け、白黒二羽の鵜が裂け目から飛び立ち、清水がこんこんと湧き出したという。

このことから修二会の行法が「お水取り」の名で有名になり、実忠が感銘して遠敷明神(おにゅうみょうじん)を良弁杉の下に祀り、鵜に因んで「鵜宮社」と称し衆庶大いに尊敬した。

是に於いて正月堂(しょうがつどう)の修正会と二月堂(にがつどう)の修二会が略同じ行法を勧修する関係で、二月堂(にがつどう)の「鵜宮社」を正月堂(しょうがつどう)東南の地(現在地)に奉祀したら神妙なるべし、又南都と相似たりと勧請したのである。

菅原道真公を奉祀した由来は、天正十一年二月廿五日の洪水の際流れ来て、上川原の梅樹に止まられたのを里人邸内社に合祀したのが、夢のお告げにより、雷除天神として鵜宮神社(うのみやじんじゃ)に合祀し、雷除の霊験あらたかにして、寛文六年五月神恩報謝の意をこめ奉献した四角灯篭が拝殿左裏に建てられている。

表参道口左側の巨大な石灯籠は、高さ五.二メートル、重さは五十四.二トン、建立は天保十四年で、田畑、山林が混雑し相続にも困る状態で、八ヶ年掛けて畝高を改め、無事終わったのを記念し、村人が木津川から運び米俵を持寄り積み上げたと伝えられている。

この四角灯籠と石燈篭は村指定文化財である。

島ヶ原観光協会』

※ 境内掲示より



『島ヶ原村文化財指定

四角燈籠

寛文六年五月菅公のために建てた銘があり、天正十一年三月伊賀川洪水の際川南地区上川原の梅樹に流留給うにより之を鵜宮神社(うのみやじんじゃ)に合祀したもので御神体は菅公御自作の木像とのことである。

それを記念して後日この灯篭を奉造建立したものである。

島ヶ原村教育委員会』

※ 境内掲示より



鵜宮神社(うのみやじんじゃ)

当社の祭神は、事代主命(ことしろぬしのみこと)外十四柱で、創立由来は、天平勝宝三年(751)、奈良東大寺(とうだいじ)の実忠和尚が開創された村内にある正月堂(しょうがつどう)との関係が深い。

村の中央の小高い丘陵の南端に位置し、125段の高い石段を登ったところに南面して鎮座している。

石段下には天保十四年、自然石の大石燈籠を寄進し併せて水帳の取調帳を神社に寄進した。

この石燈篭の高さは5.28メートル、重さは54.2トンです。

島ヶ原観光協会』

※ 境内掲示より


往古より交通の要衝であったであったことは間違いないようでかなりの数の史跡が存在しています。


関連情報レポートリンク

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