(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年09月15日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市柘植町 津美恵神社


三重県伊賀市柘植町に鎮座する「津美恵神社(つみえじんじゃ)」です。

昨日辿り着けなかったので連日訪問したのですが、天気の方は一転して周囲の山は白く雪化粧しています。

我が家は晴天だったのですが、柘植に近づくにつれて雪が降り出していつの間にか周囲の景色は一変していました。

びっくりです。


御由緒

津美恵神社(つみえじんじゃ)の起源は古く西紀二、三世紀以前ではないかと思われる。

我が国へ渡来してきた北方民俗(出雲民族)が、この柘植へ移住してきたことは、伊勢風土記逸文に「伊賀の事志の社に坐す神、出雲の神の子出雲建子命(いずもたけこのみこと)、又の名は伊勢津彦の神(いせつひこのみこと)、又の名天櫛玉命(あまのくしだまのみこと)、此の神、昔、石もて城を作り、其の地に坐しき、ここに阿倍志彦の神(あべしひこのかみ)、来り集い勝たずして還り却りき。因りて名を為しき云々」とあることからも、霊山の中腹穴師谷にこれらの民族の祀っていた神であることは事実のようだ。

この神社の元の名は穴石神社(あなしじんじゃ)穴師神社(あなしじんじゃ))又は、石上明神(いそのかみみょうじん)ともいって上都祁村の産土神として祀られていたが、寛永二十一年(1644)大洪水の為、社地欠損甚だしく、正保三年(1646)今の地に遷されたことは、種々の古文書から明らかであるし、その時社殿造営の棟札(式内社 正保三戌年八月二十七日)も町文化財として今日残されている。

この神社の祭神は栲幡千々比売命(たくはたちぢひめのみこと)布都御魂命(ふつのみたまのみこと)布津主命(ふつぬしのみこと)他三十三柱となっているが、又他の一本によるともとの祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)であったとも伝えられている。

津美恵(つみえ)の社号につていは、一村一社の合祀(明治四十二年四月)後、大正十一年七月に現社号に改称されたもので、倭姫(やまとひめ)世紀、伊勢御鎮座遷幸囲略、二所皇大神宮遷幸要略等にある「敢都美恵宮(あえとみえのみや)」から「敢」をとって選定されたもので、即ち津美恵(つみえ)は柘植の古語であり神宮縁りの地でもある。

こうした由緒のある宮をわれわれの産土神として末永く祀りつぎたいものだと思う。

― 省略 ―

例祭日 毎年四月五日 渡御あり

鎮座地 ― 省略 ―』

※ 境内掲示より



神宮遥拝所

神宮遥拝所とは、わが国の神社の本宗と仰がれる伊勢神宮に向って、この地から遥かに拝む神聖な場所であり、皇大神宮御鎮座二千年を記念して建立したのものであります。

この柘植の地は、皇大神宮が伊勢の五十鈴川の川上に鎮座される以前の第十一代垂仁天皇即位二年(西紀前二十八年)の御代倭姫命が天照坐皇大御神を奉戴され倭の国から各地を巡幸し、柘植川上流沿岸の当地に「敢都美恵宮(あえとみえのみや)」(元伊勢)として二年間鎮座し奉斎されたという明確な史実があり神宮と実に縁の深い場所であります。』

※ 境内掲示より


境内を注意深く見回すと当然のように「山ノ神」様が鎮座していて、他にも「愛宕社・秋葉社・事比羅社」と「耶須久尓社」が鎮座しています。

国歌「君が代」に出てくる「さざれ石」があります。

初めて知ったのは大阪の藤井寺市道明寺に鎮座している「道明寺天満宮(どうみょうじてんまんぐう)」で、その次に対面したのは宮津市大垣に鎮座する丹後国一の宮の「籠神社(このじんじゃ)」ですが、どちらとも少し雰囲気の異なる「さざれ石(礫岩(れきがん))」です。

この鎮座地は元の鎮座地とは異なるという事なのですが、神社の参道の入り口より西へ60メートルの地点に「敢都美恵宮(あえとみえのみや)」跡の石碑があるようです。


関連情報レポートリンク

【豊鍬入姫・倭姫命の巡幸地「元伊勢」めぐり】


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【伊賀 神社参拝案内 一覧】〔名張市〕・〔伊賀市〕