
三重県伊賀市荒木に鎮座する「須智荒木神社」です。
この神社に到着する前に寺田橋南詰の「荒木又右エ門の碑」を訪問して、この近くに神社が有った筈だと思いだして来ました。
最初は細い道に赤い鳥居を見つけて参道をの登ったら「荒木大明神」を見つけて、周辺を見回してみて目的である「須智荒木神社」に辿りくことが出来ました。
「荒木大明神」は境内社になるのでしょうか。

『須智荒木神社
延喜式内社の一つにして、通称「しらひげさん」、白髭大明神として慕われ、伊賀街道に接し境内で読んだ芭蕉の句碑と荒木又右エ門の生誕の地として、刃奉納等があり、伊賀五社として崇敬厚く、参拝者多数をえて現在に至る。』
※ 伊賀 神社参拝案内図より
鳥居前の道が「伊賀街道」らしいのですが、現在は服部川を挟んで対岸側に国道163号線が通っていて、車では東へ進めそうになかったので、こちらは行き止まりではないかと推察します。
歩くことはできるかも知れません。

少々荒廃しているように感じたのですが、個別には立派な威容を放つ建物などですので、歴史的な価値があることは間違いなさそうです。
隣接して鎮座している「荒木大明神」は、いずれにしても由緒書き等の詳細が無いので別に紹介する予定です。
「芭蕉の句碑」が拝殿に上り階段下にあります。
松尾芭蕉が伊賀出身という事であらゆる所々に句碑があります。

『元禄三年三月十一日
畠うつ音やあらしのさくら麻 ばせを
荒木村白髭社にて
元禄三年(1690)芭蕉四十七歳の作。
季語「畑打つ」で春。
「芭蕉句選拾遺」(井筒屋寛治編)に、「元三(元禄三年)」此句木白興行ニ一折有。三月十一日、荒木白髭にての事也」とする。
「白髭」は白髭神社のこと。
木白は伊賀藤堂藩士岡本治右衛門政次で、瓢竹庵主。
後に苔蘇と改号している。
前日の三月十日付、江戸の杉風宛芭蕉書簡には、中七を「あらしの音や」と報じていることから書簡の句が初案で、翌十一日、白髭神社における木白主催の俳席に改案し臨んだことになる。
「あらし」が「荒し」と「嵐」の掛詞となり、繊細な市場をもって春らしい郊外の野良風景を詠んでいる。
「さくら麻」は麻の雄株。
「桜ノ咲ク頃、蒔クモノナル故二云フトモ云ヘリ」(万葉集古義)とも、麻の花が桜ににているからともいわれている。
句意は、「春になって畑を打つ音がしきりにする。
傍らの畑には桜麻が可憐な芽を出し、双葉が風にそよいでいる。
麻の芽にとって、あの畑打つ音が荒々しい嵐のように聞こえるであろう。』
※ 境内掲示より
あちらこちらで「芭蕉の句碑」を見かけます。