
三重県伊賀市島ヶ原にある「薬師堂」です。
磨崖仏が堂内に入ると奥の壁に彫られています。
それにしても大阪では珍しいと思っていたのですが、伊賀や甲賀や南山城や宇陀市や山添に来ると至る所に存在しています。
岩があるという事が第一条件でしょうが、大変な作業であったことが伺えます。

『薬師堂の由緒記
この下の石薬師磨崖仏が元岩勤寺(薬師寺)である。
本尊及び阿弥陀三尊立像が大きな花崗岩の自然石に四体彫られ、右端が薬師如来像で高さ五十センチ、幅五十四センチ。
右手は施無畏印、左手に薬壺を持ち、光背は円相光、半肉彫りで蓮華座上に座っている。
左側の三体は阿弥陀三尊立像で、中尊像の高さ七十八.八センチ、脇侍の高さ四十八.五センチである。
阿弥陀三尊立像の中央の阿弥陀如来は、左右の人差し指を合わせて丸めた上品下生の来迦印を結び、光背は円相光である。
向って右側の観世音菩薩は蓮華台(蓮台ともいう)の乗り、左側の勢至菩薩は合掌印を結んでいる。
薬師如来像と阿弥陀三尊立像は、ともに製作年代が南北朝期と推定され磨崖仏と近似のものが隣滋賀県多羅尾の浄顕寺の下の道路脇の磨崖仏である。
この磨崖仏は江戸時代の追刻もあるが、主体の阿弥陀三尊には「正中二乙丑年十一月願主紀氏」と刻まれている。
正中二年(1324)は、後醍醐天皇が北条氏倒幕の第一次計画に失敗した、いわゆる「正中の変」の翌年である。
本村の石薬師も同石工の手になるものと推定され、正中頃の作と考えられる。
なお、この薬師如来、阿弥陀三尊立像の右外壁の岩盤に、高さ六十センチほどの別の阿弥陀三尊像が彫られているが、これは室町時代のものと推定される。
また、薬師堂への下り段の右端にある薬師沢六地蔵磨崖仏は、幅二.五メートルほどの丸い自然石に六地蔵が横一列に彫り出されている。
これには慶長九年(1604)の銘がある。
六地蔵信仰とは、六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上)のどこにおいても救いの手を差し伸べる六道救済のための信仰を言う。
島ヶ原観光協会』
※ 境内掲示より

史跡や神社の訪問の方が多いのですが、伊賀へ越してきて寺院の門が開いていることが少なくないのでよくお詣りでします。
個人的には仏像や磨崖仏は芸術品として鑑賞している面が多いので不遜なことかもしれませんが、崇敬者の気持ちが理解できます。
それにしても大変な作業であったと思うのですが、後年に鑑賞している私としては感心するばかりです。
国宝や重要文化財に指定されていなくても、篤い信仰がよく伝わってきます。