(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年08月29日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市白樫 岡八幡宮


三重県伊賀市白樫に鎮座する「岡八幡宮(おかはちまんぐう)」です。

月ヶ瀬から白樫方面へ走っていると田畑の向こうに鳥居が見えて訪問しようと思っていたのですが、経路がなかなか解りませんでした。

辿り着くと何とも立派な境内を持った神社でした。

広い駐車場だと思っていたのですが、馬場のようです。


岡八幡宮(おかはちまんぐう)

岡八幡宮(おかはちまんぐう)の創祀について「准后伊賀記」

「右大将源頼朝郷鎌倉鶴岡の八幡宮を勧請す。則ち鶴岡の神職、源豊氏久勝が弟勝宗を神主として今に豊氏、是を伝て相続す」

又、同宮に伝わる国学者菊岡如幻筆及び社蔵の「岡八幡宮(おかはちまんぐう)御縁記には、右大将源頼朝公が鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう)を一州一社移奉らんと神意を伺い「先ず伊賀と叶い伊賀国の白樫猪ノ谷に四町四方の宮構を點じ、建久元年(1190)四月十八日に御鎮座、御祭神は応神天皇、神功皇后、仲津姫、仁徳天皇、四柱で鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう)の神職豊氏久勝の弟勝宗を神主とし、公奉して来た社人八人とともに、白樫に留まって神事を司る。

祭事については「鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう)の遺風古例に習う」と記されている。

放生池(ほうじょうち)流鏑馬(やぶさめ)馬場、探湯神事(くがたちしんじ)(神楽)外等々伝わり、神事の厳正に執行されたことを物語っている。

北条氏時代、社領没収され衰退途を辿るが室町朝、将軍足利尊氏により再興された。

現在の宮威は元来この地方の開拓神である伊賀津彦神(いがつひこのかみ)伊賀津姫神(いがつひめのかみ)大山祇神(おおやまづみのかみ)、三柱(尺殿明神(しゃくどのみょうじん))が祀られていた地、その後織田信長の伊賀攻めの際、社人四散する多難時代を見るが、伊賀藩主藤堂高虎公入国以後は、藩主助力を得、代々の国主の当宮に対する崇敬は厚いものがあった。

御鎮座以来、こうした歴史の波に揺れながら、平成二年十一月三十日厳粛に御鎮座八百年祭が斎行された。

平成十二年十二月吉日 記』

※ 境内掲示より



尺殿明神(しゃくどのみょうじん)(山の神)

時代は景行天皇の頃、大和朝廷より伊賀の開拓を命ぜられた伊賀津彦と伊賀津姫は山を分け河を渡って此の宮の森に辿り着き、大山祇の神を祭って居城とした。

従者(今の奈良県橿原市白樫町の先人)は二十数名、五班に分かれて各々、大山祇の神祭る祠を建てて開拓に勤んだ。

これが白樫村の始めです。

山の神

一. 谷出の山中

二. 北出大井の上

三. 山辺正生氏の東

四. 米村氏の芋谷

五. 向中氏の西の山中

明治三十七年の合祀令にて今の山の神に合祀された。

見事伊賀の開拓に生涯を捧げた伊賀津彦と伊賀津姫を村人は伊賀開祖の神、尺殿明神(しゃくどのみょうじん)としてお祭りした。

男女(婦夫)の性愛を基とした神様で縁結びの神様として地域住民から慕われ敬われて居る。

毎年一月七日「ふくらそ」の木で伊賀津彦と伊賀津姫のコケシを作って奉納し、大注連縄を奉納する。

岡八幡宮(おかはちまんぐう)

※ 境内掲示より


駐車場の入口には「宝蔵院流高田派槍術の祖 高田又兵衛吉次 槍の又兵衛修業の森」と大きな字で書かれた看板があります。

池の中に「鈴鳴大辨才天社(すずなりばんざいてんしゃ)」が鎮座しています。

手水鉢(ちょうずばち)禊水石(けいすいせき))の説明書きがあるのを初めて見ました。

興味深い内容です。

別に紹介することにします。


関連情報レポートリンク

【伊賀 神社参拝案内 一覧】〔名張市〕・〔伊賀市〕