
三重県名張市丸之内にある「無縁法界萬霊塔」です。
確か立正寺は、花垣神社から上野方面へ向かう道沿いにありました。
いずれにしろ、最初は戸惑ってしまいました。
説明文を読んで納得しました。

『無縁萬霊塔建立趣旨
由来当地方は東大寺領梁瀬ノ荘であったが、蒙古襲来後上下疲弊し、守護社寺も農民に重き負担を迫り、当地方の庄民と寺方にも動揺を来した。
ここに黒田の庄を中心として庄民と寺方との間に、はた又国司との間に争闘止まず、後建武の頃に至り庄民は宮方として、南朝に盡したが、後足利の世となり世の乱れるに伴い、天正七年二月頃より九年十月迄織田氏の攻略をうけ、いわゆる天正伊賀乱となり柏原は最後の防戦地となったのである。
この間社寺は焼かれ無幸の郷民亦その犠牲となる者も少なくなかった。
近時当地方各所より無縁塔石仏等の発掘せらるるもの数多きは一面、当寺を物語るものの如きも今更に弔う者もない此頃同志相寄り桔梗が丘の聖地を選び無縁萬霊塔を建立し、無縁幽魂の慰霊と埋没社祠神霊を再建して郷民の平和繁栄を切に祈願せんとする次第である。
ここに昭和二十九年五月二十三日住職日聖上人を中心に同憂の志相図りて無縁法界萬霊塔を建立した。
上野市予野 立正寺』

神様も鎮座していますが、名前等は解りません。
この一角には他にも石碑等もありますのですが、人通りは少ないような雰囲気です。
下には名張市の施設がありますので道路は車や人の往来も激しく「名張藤堂家邸跡」から直ぐの場所であるのですが、こちらも参って手を合わせても罰はあたらないでしょう。
昔から大勢の人の命の積み上げの結果、自分が現在存在しているといことを肝に銘じる必要が有りそうです。
柏原の地は悲惨なことになったのでしょうか。