(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年03月02日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


xHOTZONE Go to xDataBase viewhalloo Tips p2pzigzag p2pzigzag hrkz p2pzigzag Go to Home evtcal reporter2

名張市丸之内 名張藤堂家邸跡


三重県名張市丸之内にある「名張藤堂家邸(なばりとうどうけてい)跡」です。

何度も訪問しようとしては、休みであったり、天気が悪かったり、開門時間外であったりと残念至極であったのですが、遂に快晴ではありませんが天気も悪くなく、開門時間に訪問することが出来ました。

但し、建物内を見たいという欲求が起きなかったので、またの機会にします。

残念です。


三重県指定史跡

名張藤堂家邸(なばりとうどうけてい)

昭和二十八年五月七日指定

名張藤堂家は、織田信長の重臣丹羽長秀の三男で、藤堂高虎の養子となった高吉に始まる。

寛永十三年(1636)以来、名張にあって二万石を給され屋敷を構えた。

建物は宝永七年(1710)の名張大火で再建され、明治初年にその大部分が失われたが「御西」と称された、中奥、祝之間、茶室など日常生活に使用された奥向きの一部と、正門(寿栄神社(ひさかじんじゃ)前へ移設)が残る。

全国的に現存遺構の少ない近世上級武士の住まいの一例として貴重である。

名張市教育委員会』



名張藤堂家邸(なばりとうどうけてい)跡遺構の明示

現在の藤堂家邸は、宝永以後に再建された広大な武家屋敷のうち。「御西」といわれた奥向きの一部である。 当主の日常生活の場として使用された中億、茶室(清閑楼)、祝間、などの部屋や枯山水の庭が残っているが、二階建ての建物の「亭」をはじめ「梨子之間」「老女方詰所」「溜之間」「膳場」など取り壊された建物も多い。 これらを取り壊された建物の後は、屋敷図から復元として砂利敷きで明示している。』


門構えは、壽榮神社(ひさかじんじゃ)の入口の太鼓門とされているのですが立派な門です。