(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年02月01日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市下郡 猪田神社・住吉神社


三重県伊賀市下郡に鎮座する「猪田神社(いだじんじゃ)住吉神社(すみよしじんじゃ)」です。

越してきて周囲の史跡や神社仏閣等を回っていたのですが、三重県伊賀市猪田にも猪田神社(いだじんじゃ)が鎮座していて地形図や地図を見ても良く理解できませんでした。

そもそも伊賀は山間部であると思いこんでいたのが意外と平らな部分が多いという事にも、個人的な事ですが混乱していました。


猪田神社(いだじんじゃ)

当社は、この地方に深い由縁のある神霊を奉祀し、往古より延喜式内社として尊重されて来た。

明治四十一年一村一社の合祀令により旧佐那古村に鎮座する神々を当神社に合祀した。

御祭神は猪田神、住吉三神(底土命、赤土命、磐土命)他二十五柱である。

主神猪田神は十一代垂仁天皇の皇子意知別命三世の孫で十三代成務天皇(131)の御代に伊賀の国造りに任ぜられた武伊賀都別命である。

住吉の神は、延暦三年(784)白鷺を使者として摂州住吉大社から勧請した。

社地は、伊賀の郡家が所在した郡の西方神南備の丘にあり、時の支配者伊賀臣が祖と仰ぐ武伊賀都別命を守護神として祀った。

神社の起源は詳かではないが、社殿の創建は「天正十五年の棟札」によると、延暦三年である。

当寺の本殿は、天正九年(1581)伊賀の乱で焼失し、その後猪田山出の小天狗清蔵が再建を図り、慶長九年(1604)に完成した。

現在の本殿は、桃山時代の粋を集めた華麗な建造物として、昭和三十七年二月十四日「三重県重要文化財」の指定を受けた。』



『県指定重要文化財・建造物

猪田神社(いだじんじゃ)

本殿は一間社(いっけんしゃ)流造(ながれづくり)・屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で、軒は二軒繁(ふたのきしげ)垂木(たるき)とし、浜床(はまゆか)を設け、正側三方の縁と浜床(はまゆか)擬宝珠(ぎぼし)高欄(こうらん)をめぐらす。

柱は円柱で縁長押(ふちなげし)頭貫(かしらぬき)を回し、軸部を固め、連三斗(つれみど)の組物をのせる。

中備として正側面に蟇股(かえるまた)を入れるが、側面の蟇股(かえるまた)は、巻斗(まきと)を省略して直接に妻虹梁(つまこうりょう)を受け、その上に象鼻様の拳鼻(こぶしばな)をつけた大瓶束(たいへいづか)をたて棟を受ける。

全体に丹塗りを貴重に極彩色を施す桃山時代の華やかな建物である。

天正伊賀の乱で焼失し、その後天正十五年(1587)、慶長九年(1604)の棟札があるが、後者が現在の建物に該当すると考えられる。

(昭和三十七年二月十四日指定)

伊賀市教育委員会』


この周辺は北へ向かって流れる木津川の流域で平らな土地が意外と広く米作りが盛んに行われています。

少しでも傾斜地になると水田ではなく畑作が多いようですが、山というか丘というかまり上がり部分までほぼ平らになっていることが少なくありません。

中国自動車道の周囲も同じような景色であったと記憶しているのですが、以前に断層に土砂が堆積しという記述を見たことがあるのですが、こちらは昨年の台風でも木津川が氾濫しているので木津川の運んできた土砂の堆積という事でしょうか。

意外と古くから人が住んでいたことに驚きを隠せません。


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