(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年01月02日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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名張市丸之内 壽榮神社


三重県名張市丸之内に鎮座する「壽榮神社(ひさかじんじゃ)」です。

名張藤堂家邸跡に隣接というか、敷地内のような気がするのですが近鉄大阪線の名張駅から徒歩で五分程度でしょうか、丘陵の突端部に位置しています。

区画整理された跡だと思うのですが、前には周辺よりも広い道路が通っています。

お正月には閉まっていました。


桔梗が丘

地名の由来

名張藤堂氏の家紋に因み、殿館跡の此地丘陵一帯を桔梗が丘と称し来れり』


記念碑

壽榮神社(ひさかじんじゃ)の祭神は名張藤堂家の初代宮内少輔高吉であり、社名は高吉(寛文十年七月十八日九十二歳で没す)法名徳蓮院殿徳翁壽榮大居士を因とするものである。

高吉の歿後三百二十年を期して、神社の式年造営と併せ、此の地に丸之内区集会所、桔梗会館の建設を計画し、平成元年五月吉日竣工したものである。

― 略 ―

平成元年五月吉日 建之』



壽榮神社(ひさかじんじゃ)具足(ぐそく)

江戸時代後期 昭和四十五年九月七日市文化財に指定

名張藤堂家伝来の具足で、大正十一年(1922)に行われた初代当主高吉公二百五十年祭に際し、藤堂家より壽榮神社(ひさかじんじゃ)に寄進されたものである。

籠手(こて)草摺(くさずり)の下の佩楯(はいだて)脛当(すねあて)なども完備しており、大名の具足(ぐそく)にふさわしい豪華な造りである。

(かぶと)は、六十二間の筋鉢(すじばち)(しころ)は五段、獅子の前立(まえだて)をつけ、鍬形(くわがた)には緻密な金細工が施されており、眉庇(まびさし)桔梗紋(ききょうもん)(名張藤堂家の家紋)を配した吹返(ふきかえ)しには銀の装飾があり、壮麗を極めている。

胴は、本小札(ほんこざね)萌黄(もえぎ)糸威(いとおどし)とする二枚胴で、前胴の弦走(つるばしり)にはお守りを入れる染皮(そめかわ)(蝶の図あり)が取り付けられている。

江戸時代中葉以後は、復古思想が盛んとなるが、本具足(ぐそく)もその時流を反映して全体的に復古調であり、また装飾性に富んだ作りとなっている。』



備前(びぜん)長船(おさふね)の刀剣(とうけん) 一口

戦国時代 昭和四十五年九月七日市文化財に指定

壽榮神社(ひさかじんじゃ)所蔵の刀には、備前国長船(おさふね)則光(のりみつ)の銘が彫られている。

幕末頃の名張藤堂家家老吹田小三郎正逵が家伝来の物を当神社に寄進したもので、長さは約85センチである。

備前国長船(現在の岡山県邑久(おく)郡長船町)で製作された刀剣を長船物といい、光忠(みつただ)を始祖として鎌倉時代中期から室町時代末期まで日本一の流派として多くの名工を生み出した。

長船物は。室町時代のものを「応永(おうえい)備前(びぜん)」と称し、中期以降のものを「末備前(すえびぜん)」と呼んでいる。

永享から文明にかけての約六十年間に則光の作とみえるものがあり、則光を名乗るものが何代かにわたっている。

その中でも特に、長禄、寛政、文明の頃の作に優れたものが多く、古くから「寛正(かんしょう)則光(のりみつ)」と称され独特の風格をもっている。

当神社所蔵の刀が何代目の則光のものかは不明であるが、「末備前(すえびぜん)」に属する優品に数えられる。』


神社の所縁や由緒についての具体的な記述はありませんが、藤堂家の守護神を祀っていたのは間違いなさそうです。

此の地は周辺部でも城を築くには最も適地となっているように思えます。

いずれにしろ戦乱の時代には実際にどのような生活を営んでいたのか興味津々です。

名張藤堂家邸跡を訪問する予定ですが、近すぎていつでも行けるという事は…、いつになるか解らないという事にならないようにしたいと思います。


関連情報レポートリンク

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