
三重県名張市赤目町柏原にある「薬師堂・柏原城跡」です。
名張市の神社や寺院を回っていると神仏習合の名残が色濃く見えます。
神社の境内に「大師堂」や「薬師堂」があるのは珍しくありませんが鐘楼があるのが少なくありません。
更に地蔵尊はごく普通にあります。

『薬師堂縁起
この薬師堂は、その昔、神佛習合の時代には勝手神社の宮坊であり、また長谷寺の末寺の名張十ヶ寺の一つと称された三棟よりなる東光寺(現在の地蔵原にあったといわれる)の一棟であった。
その東光寺の初代住僧頼遍は、延宝(1673 ― 1680)の時代の人であり、現在、薬師堂の前に立つ貞享二年(1685)正徳二年(1712)の石燈籠は東光寺のものであったと推測される。

後世に至り寺勢は衰えそれまで同格とされていた極楽寺の末寺の一つとなり、明治中期には住職も無くなり、大正三年(1914)には改築前の旧薬師堂に改築され今日に至った。
当寺には、東光寺のほか西方寺、安養寺、地蔵院、興福寺、芦田院などがあったが、いずれも衰微し、現在跡方も定かでないがそれらの寺院に祀られていた佛像のほとんどが薬師堂に集められ安置されている。
このように薬師堂は、個人の篤信の跡を偲ばせ柏原の歴史の一面を物語る堂であり大切に後世に伝えていかなければならない。

薬師堂安置仏像
- 本尊 薬師如来
- 阿弥陀如来(元西方寺本尊)
- 十一面千手観音(元安養寺本尊)
- 釈迦如来像
- 不動明王
- 役行者
- 聖観音菩薩
- 釈迦誕生佛
- 弘法大師像
- 地蔵尊

この場所は『決戦之地柏原城』の石碑が立っており、『和州騒動の図(名張市指定文化財)』があるということですが、薬師堂に保存されているのでしょうか。
『市指定文化財(絵画)
和州騒動の図
この絵は、縦75.8㎝、横137㎝の紙に描かれ、板張り額装されています。
文久三年(1863)八月に大和で起こった天誅組の乱の戦陣の模様を描いたもので、吉野川を中心に高取、竜門、葛城の諸山系を背景に各藩の布陣地点など、細かく描かれています。
天誅組に関する絵画としては随一のもので、実地見聞に基づく貴重な資料です。
この絵は騒動の翌年元治元年(1864)に柏原村・三村塾の塾生五十余名が、名張に在住していた生人形師安本亀八に依頼し、氏神、勝手神社の宮寺、東光寺に奉納したものです。

亀八の数少ない絵画の中での最優作です。
昭和三十三年三月十日指定
名張市教育委員会
赤目町柏原区』
『決戦之地柏原城』の石碑については、伊賀市喰代にある「百地氏 城跡」にも関連する記述があったと思います。
ここからは結構な距離があるのですが、昔の人は健脚だったと思います。