(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2014年07月09日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市上神戸 神戸神社


三重県伊賀市上神戸に鎮座する「神戸神社(かんべじんじゃ)」別称「穴穂宮(あなほみや)」です。

天之眞奈井戸(あまのまないど)は、この境内にあります。

境内には他に「観音堂(かんのんどう)」もあります。

神仏習合の名残であるのか、それとも聖地としてこの場所を選んだのでしょうか。

施錠されていて中を覗うことも出来ず、説明書き等もに当たりませんでした。

「伊賀の国お宮めぐり」に以下のように説明されています。


神戸神社(かんべじんじゃ)

元伊勢とも呼ばれ古くは穴穂宮(あなほみや)とも称し、明治四十一年村内諸社を合祀、神戸神社(かんべじんじゃ)と改める。

倭姫(やまとひめ)世記に崇神(すじん)天皇天皇御代穴穂宮四年間鎮座とある。

神宮月次第祭に鮎千八百尾奉納御遺績により神宮古殿社を拝領賜り式年造替を再行』

伊賀 神社参拝案内図「伊賀の国お宮めぐり」より


訪問後に日が経過してしまい、パンフレットが行方不明になってしまいレポートが遅くなってしまいました。


神戸神社(かんべじんじゃ)由緒

当社は、往古より穴穂宮(あなほみや)と称し、明治四十一年十月村内諸社を合祀し社号を神戸神社(かんべじんじゃ)と改める。

倭姫(やまとひめ)世記によれば、第十代崇神(すじん)天皇御代に倭姫命(やまとひめのみこと)天照大神(あまてらすおおみかみ)を戴き御杖代となられ倭国笠縫邑よりお出ましになり、各地を巡幸されました。

崇神(すじん)天皇六十六年巳丑伊賀国穴穂宮(あなほみや)に立ち寄られ四年間御鎮座になりました。

伊勢より先に祀られていたので元伊勢の名でも呼ばれています。

倭姫命(やまとひめのみこと)が暗崎川(現在、木津川)の川上の岩鼻という所にて鮎を取り朝神饌・夕神饌に大神様へ供進されていました。

その後、第十一代垂仁(すいにん)天皇即位二年癸巳に同国敢都美恵神社(あえとみえじんじゃ)(現敢国神社(あえくにじんじゃ))へ遷られる。

現在でも、特殊神事として神卜座(かみとざ)幣座(へいざ)が参列する「初魚掛祭(はなかけまつり)」があり、伊勢にご鎮座された後も、古例に習い毎年六月の神宮月次祭(つきなみさい)に干鮎千八百尾を献納申し上げております。

新嘗祭にはカラチカラ会よりの麹米を献納、敬神婦人会による神宮新田での御田植、秋の抜穂の御奉仕と本崇大神に報恩感謝の誠を俸げ今日に伝承されております。

当社も、神宮御遷宮の後には、神宮古材を拝領賜り、本殿の式年造替(しきねんぞうたい)を二十年毎に行っております。

近年では平成七年十一月に再行致しました。』

神戸神社パンフレット


いまでも行われている伊勢神宮遷宮の白石を敷き詰めた護国社も境内に鎮座しています。

境内には杉の巨木があるのですが、パンフレットには以下のように示されています。


伊予杉(いよすぎ)

伊賀の国の城主、藤堂(とうどう)高虎(たかとら)公が伊予今治から伊賀へ来た時に伊予から持って来て植えたと伝えられ、伊予杉の名で親しまれています。

(樹齢、約四百年位)』

神戸神社パンフレット


と説明されています。

『慶長13年(1608年)に伊賀上野藩主・筒井定次の改易と伊勢国津藩主・富田信高の宇和島藩への転封で今治周辺の越智郡2万石を飛び地とし、伊賀一国、並びに伊勢8郡22万石に加増移封され、津藩主となる。』(Wikipedia)となっています。

樹齢四百年位というのは、史実と一致しているということでしょうか。


関連情報レポートリンク

【豊鍬入姫・倭姫命の巡幸地「元伊勢」めぐり】


関連情報レポートリンク

【伊賀 神社参拝案内 一覧】〔名張市〕・〔伊賀市〕