(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2013年04月29日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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名張市美旗町 美旗駅周辺美旗古墳群歴史散歩


三重県名張市美旗の近鉄大阪線美旗(みはた)駅の東約200m付近を南北に走っているのが初瀬街道(はせかいどう) 新田宿で、南へ100m付近に三重県下最大級の前方後円墳が馬塚古墳(うまつかこふん)と呼ばれている古墳があります。

大阪の藤井寺市や羽曳野市周辺の古市古墳群や仁徳天皇陵の周辺の古墳群と比較すると小規模であることは否めませんが、この馬塚古墳(うまつかこふん)は遜色がありません。

美旗古墳(みはたこふん)群と周辺の歴史

美旗古墳(みはたこふん)群のある小波田川右岸の大地はミノ原又は小波田野と呼ばれる原野であった。

この地に全長142m、県下最大級の馬塚古墳(うまつかこふん)をはじめ5基の前方後円墳と方墳が築かれた。

北から殿塚古墳(とのつかこふん)女良塚古墳(じょろうづかこふん)毘沙門塚古墳(びしゃもんづかこふん)馬塚古墳(うまつかこふん)貴人塚古墳(きじんつかこふん)と一世代一墳的に築造され、周濠を含めてよく原形を残している。

古墳の築造は、段築と呼ばれる斜面と平坦部からなっており、斜面には石をふき「葺石」、平坦部には埴輪が並べられた。

南方の上小波田にある円墳の赤井塚古墳(あかいつかこふん)は、全長11.8m玄室高3.5m伊賀最大級の横穴式石室をもっている。

室町時代には、能の大成者観阿弥が小波田で 座した。

児童公園になっている滝川氏域は「天正伊賀乱」の際に築かれたといわれる 郭四方土塁で周囲には空堀をめぐらしている。

江戸時代前期、青山町出合から用水がひかれ、美濃波多新田(みのはたしんでん)が開発された。

新田村は、上方から宇治山田への参宮路である初瀬表街道(はせおもてかいどう)の宿駅として賑わい、常夜燈に盛時を偲ばせる。

美旗まちづくり協議会』

初瀬街道(はせかいどう) 新田宿のはじまり

江戸時代中期、それまで「美濃が原」と呼ばれていた原っぱが新田として開墾(かいこん)されたのを機に、同街道沿いに約三十軒の旅籠(はたご)や商店がならび繁栄しました。』

近鉄大阪線を挟んで南北に通っていますが、小学校などもありなんとなく風情が残っている感があります。

公民館には当時利用されていた「日時計」があります。

近鉄テクテクマップ

コース全般を通して田園地帯やぶどう畑などの果樹園に沿って、のんびりと歩く。

美旗古墳群は伊賀地方の豪族、伊賀氏または名張氏のものと推測され、その中でも美旗(みはた)駅近くの馬塚古墳(うまつかこふん)は、最大級の規模を誇る。

古墳の頂上付近からは周囲の風景がぐるりと見渡せ、数体の石仏が前墳を囲むようにひっそりとたたずむ。

美波多神社(みはたじんじゃ)には、水不足の時に願をかけたと伝わる雨乞い石がある。

境内でひと休みしたら、毘沙門塚古墳(びしゃもんこふん)女良塚古墳(じょろうづかこふん)へ。

途中、右方向に倶留尊山や大洞山の姿が遠望できる。

新田水路の土手沿いに進むと、かつてのお伊勢まいりの重要路だった初瀬街道(はせかいどう)につきあたる。

辻には往時を偲ばせる常夜燈が残っていて、その大きさは存在感たっぶり。

能楽堂がある福田神社(ふくだじんじゃ)跡には能楽の観阿弥ゆかりの記念碑が。

民家が立ち並ぶ上り道を行くと、こんもりと盛り上がった竹林に赤井塚古墳(あかいつかこふん)がある。

田園の中にポツンとある貴人塚(きじんつか)馬塚(うまつか)陪塚(ばいつか)に立ち寄り、初瀬街道(はせかいどう)を経て美旗(みはた)駅へと向かう。

考古学ファンはもちろん、気軽に歴史散策が楽しめる爽やかなコースとなっている。

使用している数字等は、2013年04月09日の近鉄テクテクマップを参考にしています。

長閑(のどか)な所です。

一日骨休めには最適な場所です。


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